『 万葉集に親しむ』~春の訪れ~ 2026年2月20日
スタートは「もうすぐ春」で垂水の歌でさわらびのもえいづる春と青柳の佐保で今は春べとなりにけるかもの歌紹介です。
万葉仮名では「揚」=ネコヤナギも「やなぎ」と読むと教えていただきました。
次は大伴旅人の梅花の歌・序文の解説でした。落梅;はらはらと落ちる梅の花をテーマに短歌を詠おうと旅人が呼びかける漢文の序文で令和年号の歌です。その梅花の宴で主人として「我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも(巻5-322)」と旅人が落梅の歌を見事に歌っています。梅は外来種で当時梅の花の色は白のみでした。又、梅は万葉集に出てくるNo.2の花でNO1は萩です。
はだれ(雪がはらはらと降るさま。雪が薄く積もるさま)の万葉歌を4首、特に南淵山の犬養先生の紀行文で雪の明日香を味わいました。
(南淵山は今は地図にも記載があちませんが、明日香村民にも忘れられているとの事です。 参考ですが南淵山の記事がありました。https://www.syotann.com/minabutiyama2.html)
又、万葉集全20巻の成り立の体系図で特徴や分類を学び、巻8と10は春夏秋冬の雑歌・相聞歌が特徴である事も知りました。
最後は、三枝(さきくさ)の歌「春されば まづ三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢はむ な恋ひそ我妹(わぎも)」巻10‐1895(人麻呂歌集)で さきくさとはミツマタで和紙は、この樹皮で作られている。写真のように黄色のかわいい花をつけます。
山上憶良の長歌にも詠われていますが、万葉集には2首のみです。
YOUTUBE画像は、2月8日の明日香村に雪が降りはだれの景色を撮影したものです ご覧ください(朝風峠 稲淵棚田・南淵山)

『 万葉集に親しむ』~新春を言祝ぐ~ 2026年1月16日 新春万葉うたがたりライブ
午前の部は、新年を迎えて楽しい岡本先生の企画による「新春万葉うたがたりライブ」を、上未歩さんのボーカルでタップリと楽しみました。
そのあとに、お年玉抽選会で、岡本先生から沢山の犬養グッズや万葉うたがたりのDVD、CDのプレゼントもいただきました。ありがとうございます。
「万葉うたがたりライブ」を再度聴きたいとのアンコールに答えてYOUTUBEにアップしましたのでお楽しみください。
下記は、各曲のショートライブYoutubeです(約6分)。ダブルクリックすると拡大します。https://youtu.be/O0xrTmR-SfQ
『 万葉集に親しむ』~万葉クリスマス~ 2025年12月18日
先月の秋の万葉ウォークの話と関西万博への万葉イベント出演の事、来年の1月5日早朝に宇陀のかぎろいの丘で「かぎろい」の行事が行なわれると話されました。
カレンダーの歌は11・12月です。11月は船王が徳島眉山万葉歌碑で徳島沖から詠んだ歌(巻6‐998)です。この歌は聖武天皇が難波行幸時に詠われた時の6首の内の1つです。この6首の中には、しじみの歌や赤裳の歌があります。(巻6‐997~1002)
12月は明日香村小原(オウバラ)にある大原神社にある2首で藤原鎌足が生まれた地に歌碑があります。この歌は天武天皇と藤原夫人の飛鳥に降った雪をめぐる掛け合いで、「天皇が大した雪でないのに大雪といい、夫人がいる古ぼけた大原に降るのは後だからかと言う」と、「藤原夫人が雨雪の神に降らさせた雪のとばっちりが、天皇がいる明日香清御原宮に降ったのよ」と「しっぺがえし」するユーモアあふれた万葉歌です。この歌は飛鳥時代に詠われた唯一の歌です。(巻2‐103、104)
同時に天皇の奥さんの制度(皇后・妃・夫人・ 嬪)についても教えていただきました。
来年は馬年で。赤駒の歌の紹介がありました。「武庫川の水脈を早みか あかごまが 赤駒の足掻く激ちに濡れにけるかも 巻7-1141」。 この歌の歌碑は武庫川女子大学にあり武庫川女子大学80周年記念として2019年9月28日に披露されました。
テーマの万葉クリスマスですが、オー・ヘンリーの「賢者の贈り物」で夫ジムと妻デラのクリスマスプレゼントの物語で、大事な宝物を売ってでも、プレゼントしたのですが行き違いが生じて無駄になってしまうが、本当はお互いの愛の上の贈り物だったというお話です。
万葉集にも同様な万葉集があります。祝婚歌「夫が長い道を歩いて宮使い行っているのに、他の主人は馬で行っている。私(妻)は母の形見を売り馬を買いたいと歌うが(まるで山内一豊の妻・千代)、夫は私だけが馬に乗る訳にはいかない、2人で石は踏むとも一緒に行こうと歌う夫婦の純愛の問答歌です。」(巻13‐3314・3317) 岡本先生が歌われている祝婚歌を聴きました。
最後に11月9日 机島歌碑建立50周年記念行事があり、当会からも2名参加されたとの報告もありました。
『 万葉集に親しむ』~秋の万葉ウォーク~ 2025年10月17日
最初は、高岡万葉まつりに現地参加した報告でした。(高岡万葉YOUTUBEは、10月24日午後 再編集し放映されます)
「中秋の名月」10月6日(十五夜「芋名月(いもめいげつ)でしたが11月2日の十三夜も楽しんでくださいと話されました。
最初の万葉歌は、山上憶良の秋の七草で7っの花についての詳しい解説がありました。はぎ(萩)は秋のはじめ、おぎ(荻)萩は秋の終わりに、オミナエシ(女郎花)には、オトコエシ(男郎花:色は白でオミナエシ科)もある事も一口メモとして教えていただきました。
カレンダーの歌は、神集島(かしわじま)にある万葉歌碑です。松浦佐用姫で有名な【ひれふり山(鏡山)】を背景にした島で、万葉集には狛島(こましま)という名で出ており、遣新羅使人の寄港した港があります。この島には七基の犬養歌碑があります。万葉歌碑設置された逸話ともに。この歌碑の七首を学びました。
先日の明日香の四神の館の講演会は、星の万葉集についての話で京都大学の先生との対談でした。京都大学の先生は柿本人麻呂の歌から推測すると、彼は天文学に詳しいのではと言われましたが、岡本先生は柿本人麻呂は歌集の七夕38首からは、星を具体的に扱っている歌はなく中国から伝わった七夕伝説の天上のファンタジーとして捉えている事がわかりますと解説されました。この中では夕星(ゆうづつ)が金星として歌われています。この38首の最後は難訓歌(10ー2033)は、天の川
安の川原に (定而神競者磨待無)の詠みについても「アマノカワ ヤスノカワラニ (サダマリテ ココロクラベバ トキマタナクニ)」と詠む学者もいると紹介いただきました。
更に、ウォークで訪問する歌碑の万葉歌についても話していただきました。
『 万葉集に親しむ』~からに島~ 2025年9月19日
敬老の日(9月15日)が志貴皇子の亡くなられた日である事、萩で有名なの白毫寺が志貴皇子の邸宅で裏にそびえる高円山のカレンダー9月の万葉歌からスタートしました。この歌は一文字毎の漢字(万葉仮名)で構成されています。
万葉集の解読は、室町時代から本格的に始まり江戸時代に大きな進展があり、現代になっても研究が続いるとのお話もありました。 この歌が含まれる大伴家持が秋野を憶って唄った六首も勉強しました(巻2⁻5315~4320)。この春日奥山ドライブウエイ展望台のある犬養先生万葉歌碑設立の経緯説明もありました。
8月のカレンダーの石川県机島歌碑は能登国の歌三首(巻16⁻3878~3880)で地元の民謡形式の歌で旋頭歌です。
45周年万葉うたがたりコンサートで歌われた「からに島」は、山部赤人の歌です。赤人の歌は全て対句が入っており、技巧的手法で構成されていて犬養先生は隙のない芸術院会員のようだと言われています。山部赤人は長歌23首、短歌37首で「叙景歌人」として聖武天皇時代に東は関東の下総から西は四国の伊予まで旅している。先生の「からに島」の歌から外された巻6⁻945の都太の細江についても赤人神社も含めてのお話がありました。
先生から万葉集研究のお話があったので、最近流行りのAi検索をしてみました。(以下参考です)
検索結果①【江戸時代の研究:契沖による『万葉代匠記』などの注釈書が著され、現代につながる研究の基礎が築かれました。
折口信夫による研究:『万葉集研究』などの著作を通じて、万葉集の文学的側面を深く掘り下げました。
現代の研究:犬養孝や賀茂真淵といった研究者から、最新の研究動向、さらにはSNS用語を用いた現代的なアプローチまで、多様な形で研究が進められています。
と出てきました。あれ?賀茂真淵って江戸時代の学者ですね➡まだAiも完璧ではない事例に出くわしました。もっと勉強しろとAiに云ってやりましたが、犬養孝先生が最初に書かれていたのは流石です。
先生が蔦屋重三郎が万葉集に関係したと言われたので、それもAi検索すると
検索結果②蔦屋重三郎は、万葉集の注釈書である『万葉集略解(りゃくげ)』を刊行した人物として、万葉集と深い関わりのがあります。また、この本は国学者の加藤千蔭(=橘千蔭)が著し、本居宣長が監修したものです(中略)後世への影響:蔦屋重三郎による『万葉集略解』の刊行は、当時の人々が万葉集に親しむきっかけを提供しました。
(参考にhttps://www.nijl.ac.jp/koten/kokubun1000/1000kai.html)
*「万葉集略解」(1796~1812年刊)の内容:橘千蔭(1735~1808年)が師賀茂真淵の遺志を継ぎ、「万葉集」全歌に注解を施した作である。注には真淵の万葉学のほか、同門の本居宣長や荒木田久老の説を中心に、多くの先行説が平易な語り口で取り入れられる。 注ばかりではない。万葉仮名の原文に点を打ち、平仮名を併記した書式は、ただ文字のままに読むことさえ困難な万葉歌を、手に届くものにした。
序:橘千陰 寛政3年(1791年) 跋:橘千陰 寛政12年(1800年) 刊行年:文化9年(1812年) 版元:京 出雲寺文次郎
版元:大坂 敦賀屋九兵衛 版元:江戸 蔦屋重三郎 ほか1書肆 版元:尾張 永楽屋東四郎 (下の写真は野田市立図書館から入手)

『 万葉集に親しむ』~防人歌を味わう~ 2025年7月18日
カレンダーの歌は、6月「あざさ」(三宅の原)巻13‐3295の長歌です。あざさの花が兵庫の稲美町から奈良の三宅町の花になった経緯も話していただきました。可愛い黄色の花で水の上に咲く一日草です。7月は「浜木綿」で和歌山新宮の孔島(くしま)巻4‐496(柿本人麻呂)で、「百重なす」が、葉っぱ・群生・茎などを指すと論争されている事も知りました。この歌と姫百合・草深百合などの3首の【浦の浜木綿(真夏のサンバ)】の紹介がありました。
今月のテーマは防人歌で98首あります。防人は東国から来た兵士で3000人が3年間 筑紫・壱岐・対馬で埼守(さきもり)を勤めていました。この時、兵部少輔の役にあった大伴家持が万葉集に収めたものです。
防人の歌は、忠誠を誓う公的な歌もありますが、家族を思った歌が主流です。
犬養先生の防人大舎人部千分の歌った2首の紹介(鹿島の神)ですが、巻2‐4369は郷土においてきた妻を想った歌と巻2‐4370で鹿島の神に皇軍としての誓いを祈った歌が同一人によって連続して歌われており、この人物の人格と真情の輝きを教えていただきました。
父母や妻への歌の静岡県の防人7首、神奈川県の防人歌3首と大伴家持の防人が別れを悲しむ心を痛んだ長歌と短歌も学びました。
この日は、10月の高岡万葉祭り応募の動画撮影をさせていただきました。山上憶良七夕歌の朗唱ありがとうございました。
高岡万葉祭り事務局には、7月末に応募しておきます。

『 万葉集に親しむ』~聖武天皇と光明皇后~ 2025年5月16日
カレンダーの歌は、山梨県万力公園にある巻13⁻3305の歌碑で犬養先生揮毫。万葉人が、恋する乙女を照り輝くばかりに美しいツツジ花やサクラ花に喩えた長歌です。犬養先生の朗唱と説明が流れくる歌碑(3月のカレンダーの歌も同じでした)。
反歌を加えた岡本先生作曲の【花咲く娘子たち】ー2021年の高岡万葉祭りで上未歩さんが歌われたYoutube(https://youtu.be/-fEiq2nTZ0Y)があります 是非御覧ください。
この万力公園は、毛利代表が2024年に訪問されています。ここをクリックすると毛利代表の山梨の旅が見れます。*ページの下の部分が万力公園です。
来月万葉ウォークで訪問する佐保のお話です。佐保は、奈良の都の左京にある佐保川の北側で、高級官僚が住んでいた住宅地で大伴一族も住んでいました。
万葉集には41首 佐保の名があります。佐保路(1432番)、佐保風、佐保山、佐保の河原(1433番)、作宝楼【佐保楼】(300番)、佐保川と佐保の名がつく万葉歌を、約10首を勉強しました。佐保楼では、自邸に作られた高市皇子の息子の長屋王の悲劇を、藤原4兄弟との関係も含めて学びました。
又、万葉集の時期区分について第1期【雄略天皇・舒明天皇から壬申の乱(672年)額田王・天智天皇・有間皇子・鏡王女】・第2期【~藤原京遷都(694年)を経て平城京遷都(710年)まで
柿本人麻呂・高市黒人・天武天皇・持統天皇・大津皇子・大伯皇女・志貴皇子】が明日香時代、第3期【733年(天平5年)まで 山部赤人・大伴旅人・山上憶良・高橋虫麻呂・坂上郎女】・第4期【759年(天平宝字3年)まで大伴家持・笠郎女・大伴坂上郎女・橘諸兄・中臣宅守・狭野弟上娘子・湯原王】が奈良時代と教えていただきました。
聖武天皇は、奈良時代に即位した天皇です。疫病や乱も起こり激動の時代で都を点々と代えました。仏教の力で国家の安寧と民衆の幸福を願い、743年には「東大寺盧舎那仏像の造立の詔」を発し、奈良の大仏を建立。56才の生涯で佐保山陵に葬られました。
古代律令制の成熟期に君臨した天皇として死後も偉大な聖王として崇敬をあつめられました。万葉集には11首。【橘は 実さえ花さえ その葉さえ 枝に霜おけど いや栄葉の木(6⁻1009)】
光明皇后は、聖武天皇の皇后。父は藤原不比等。仏教を篤く信仰し、社会事業などに尽力したことでも有名で、聖武帝の死後に天皇遺愛の品々を東大寺に献じ正倉院に保管されました。さらに興福寺五重塔や新薬師寺の造営も手掛けられました。60才で崩御、聖武帝と並べて佐保山陵に葬られた。万葉集には3首。大仏殿の北側にある歌碑(1658番)、遣唐使船の健闘を願った歌4240番も学びました。

『 万葉集に親しむ』~額田王~ 2025年4月18日
カレンダーの歌は、明日香村甘樫丘にある志貴皇子の巻1⁻51の歌碑で、犬養孝先生還暦の時に建てられた揮毫第1号です。明日香風を詠った唯一の歌です。犬養孝先生の回想録の紹介では、先生の「”明日香風”は、かぐわしく吹きつづけてやまないにちがいない」の想いが伝わってきました。
今月のテーマ「額田王」で、長歌3、短歌9が万葉集にある全12首を学びました。
万葉集を歌っている歌人は約500名の歌人で、内女性は114名ですが額田王は、このなかで唯一宮中の公的な歌人です。日本書記には額田王(ぬかたのひめみこ)とあり、最初の歌は難訓歌です。「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 我が背子が い立たせりけむ 厳橿が本」巻1ー9、で約60以上の読み方がありますが、先生は「しずまりし、うらなみさわぐ わがせこが い立たりせりけむ いつかしがもと」が良いと思うと話されました。
次は有名な巻1ー8「熟田津に 船乗りせむと…」で左注では、斉明天皇の御船が泊まった伊予の熟田津は、かつての夫である第34代舒明天皇とご一緒に行幸された地であり、斉明天皇は、その風景が昔日のままであるのをご覧になって感愛の情を起こされ、歌を作って哀傷されたのが、この歌であるとも書かれている事も学びました。
額田王が、飛鳥から三輪山を通り大津に都を移す時に歌った「三輪山の歌」2首(巻1ー17、18)、近江の蒲生での薬狩りでの元夫の大海人皇子との雑歌「あかねさす 紫野行き 野守は見ずや 君が袖ふる」「紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも」(巻1ー20、21)、額田王の最初の歌 「秋の野の み草刈り葺き…」(巻1-7)、飛鳥で歌った最晩年の歌2首(巻2-112.113)、天智天皇時代の近江での春と秋がどちらが良いかを歌った(巻1ー16)、天智天皇を思った歌(巻4ー488)、天智天皇への挽歌の短歌と長歌(巻2ー151、155)を学びました。
